パリ五輪2024のブレイキン日本代表「能寛飛選手」(Hiro10)。
能寛飛選手は家族想いの選手として知られていますが、パリ五輪の出場が決まった際は親子で抱き合って喜びを分かち合ったそうです。
そんな能寛飛選手のご実家は美容室を経営されていて、父親は美容師との情報が公開されています。
そこで今回は、能寛飛選手の父親・母親・兄弟についての家族構成や、家族のエピソードなどをまとめてみたいと思います。
- 大能寛飛の家族構成
- 大能寛飛の実家は美容室で父親は美容師
- 大能寛飛の母親について
- 大能寛飛の妹について
- 大能寛飛祖母への思い
最後までご覧ください。
大能寛飛選手の学歴プロフィールはこちら
大能寛飛(Hiro10)の家族構成
大能寛飛選手の家族構成は4人家族です。
- 父親(大能善行さん)
- 母親(大能亜矢子さん)
- 大能寛飛ご本人
- 妹(大能 瑛さん)
大能寛飛選手のご家族について詳しく調べてみました。
大能寛飛(Hiro10)の実家は美容室で父親は美容師
大能寛飛選手の実家は石川県金沢市尾張町で美容室を営んでいて、父親の職業は美容師さんです。
パリ五輪出場を喜び合う父の善行さん(左)と大能寛飛選手。
大能寛飛選手の父親の名前は「善行(よしゆき)さん」と言い、年齢は45歳(2024年現在)。
調べてみると、お父さんはダンスの経験者ではないそうです。
美容室の名前は『a+design』。
住所は「石川県金沢市尾張町1丁目10−37」です。
大能寛飛と父親とのエピソード
大能寛飛選手の父の善行さんは、小学生の頃から大能寛飛選手を支えてきました。
お店の営業が終わると、椅子などを片付けて練習スペースを作って息子の寛飛さんの成長を一番近くで見守り続けていました。
善行さんはブレイキンは未経験ながら、大能寛飛選手と共に技の研究を重ね、動画を見て研究しわかりやすく1から10まで体の使い方を息子の寛飛さんに教えていたそうです。
練習用の器具を手作りしたりするなど、大能寛飛選手は「父がいなかったらここまで出来なかった。これからは自分のブレイクダンスの大会とか歩みとか技とかそういうので結果を残してお父さんに恩返しをしたいなと思います」と感謝の気持ちを話しています。
自宅の美容室で練習する様子↓
父親に恩返しをしたいという想いを本当に実現させた大能寛飛選手。
出場が決まった瞬間は父と2人で抱き合って喜び合ったそうです。
父の善行さんは「頑張ったな、いろんなこと考えとったやろ。よくやった」と大能寛飛選手に言葉をかけたそうです。
また、善行さんは「自分の中ではしてあげてるつもりはそこまでなくて一緒に楽しんでいるような感じだったのででも寛飛が恩返しって言ってくれているって考えたらすごい恩返しをしてもらったと思います。あとはオリンピックを結果とか気にせずにめちゃくちゃ楽しんでほしいし、オリンピックで寛飛らしさを爆発させてほしいなと思います」とエールを送りました。
父との二人三脚で挑むパリ五輪。
大能寛飛選手らしいパフォーマンスを存分に楽しんで欲しいですね!
大能寛飛(Hiro10)の母親
大能寛飛選手の母親は「亜矢子(あやこ)さん」と言い、父の善行さんと同じ45歳(2024年現在)です。
母親の亜矢子さんも美容室の経営に携わっているそうですが、美容師として働いているかは不明でした。
母の亜矢子さんは大能寛飛選手の子どもの頃のことをこう話しています。
やんちゃな子で、習い事は何をやっても続かなかったけど、ダンスだけは楽しそうにやっていた
そんな大能寛飛選手を送迎や食事面、メンタル面でのサポートをされていたことでしょう。
パリ五輪への出場が決まった際、取材陣に対し「よく頑張ったねと言ってあげたい。うれし涙をくれてありがとう」と目を潤ませていたそうです。
大能寛飛(Hiro10)の兄弟は妹が一人
大能寛飛選手の兄弟は妹が一人で、名前は「瑛(あきら)さん」と言います。
年齢は2024年現在、17歳の高校生です。
大能寛飛選手がダンスを始めるきっかけとなったのは妹の瑛さんの影響でした。
水泳もサッカーもしてみましたが続かず、小学2年の頃、妹の瑛さんが当時通っていたダンス教室に行き体験をしてみたら楽しくて、いつの間にかダンスに夢中になっていたそうです。
そんな妹の瑛さんは兄のことをインタビューでこう答えていました。
自慢のお兄ちゃんだなって思いました
自慢のお兄ちゃんと言われる大能寛飛選手はとても優しいお兄ちゃんなんだとか!
学生の頃は勉強を教えてくれたりとても頼れて仲の良い兄妹だったそうです。
パリ五輪予選最終戦には、父、母、妹さんみんなで観戦をしたそうです。
被災した祖母への思い
大能寛飛選手の祖母は石川県穴水町に住んでいて、2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災してしまいました。
今までは大能寛飛選手のダンスにはあまり関心が無かったようですが、避難所での生活を強いられた際、電話で話すと「寛飛のダンスで元気出たわ」と言ってくれたそうです。
大能寛飛選手は祖母を始め、穴水町の住民のみなさんに「楽しんで全力で踊るので応援してほしい。今年は震災もあったので、ダンスで少しでも石川を元気づけたい」と意気込んでパリ五輪に挑みます。
まとめ
今回は、「大能寛飛の実家は美容室で父親は美容師!母親や妹・家族構成も!」と題してお送りしました。
大能寛飛選手の実家は石川県で美容室を営んでおり、父親は美容師さんということでした。
小さい時から髪を切るのは父の善行さんで、大会前などはいつも髪を切ってくれていたそうです。
父親がいてくれたからここまで出来たという大能寛飛選手。
今後の更なる活躍が楽しみですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。